転職モラトリアム

転職活動は溜まりに溜まった辞めたい気持ちのリセットというのを聞いたことがある。わりとその通りだと思う。数年は勤続していたほうがいい、みたいな話はこの辞めたい気持ちがどのくらいの期間で溜まるのかを測っていて、ある程度勤続しているとその容量が人並みにはあるとされるんだろうなと思う。自分は1年も勤続しないまま転職の面接を受けていた。書類が通る。面接をする。現場責任者の評価はいい。最終で落ちる。今まで5回くらいあった流れ。なんだかもう恒例になってきていて、まあそりゃあそうだよなという不思議な納得感さえある。現場の責任者はフリーランスなど多数派ではない生き方に寛容な世代で、ぼちぼちフラットに面白がってくれる。しかし最終で出てくる役員となると話は違う。話は違うというか、世代が違う。道を外した者はその時代にも一定いたのだろうけど、そういった人たちが可視化されることが極端に少なく、可視化される機会といえば反社会的な行動だったりとんでもない大成功だったりするので、まあ見られ方としては意味通り変な奴と見られるんだろうな。変な奴というのは、集団行動ができなかったり、常識がなかったり、営利目的の組織にいるといろんなリスクがありそうな奴。聞かれる質問的にそんな感じなんだろうなと思う。なので、役員面接で落ちることに対しては不思議な納得感がある。

もちろん落ちた連絡をもらうとそれなりにショックで、2社めくらいまでは2日間くらい寝込んだ。最近でもそのメールを受け取ると、ああ失敗したなというショックはある。けっこうズシンと。1時間か2時間くらいグっとなる。そして、だったら書類も一次も通すんじゃねえよという気持ちになり、気付くと次の求人を探したり、やっぱり資格があった方がいいのかな、なんてことを考えている。失敗への慣れということで、とりあえずこの感情の動きは好意的に捉えることにしている。

今の仕事に不満があるのか考えてみる。特に思い当たることもない。給料はいいとは言えないけど、それなりにゆるく自由で仕事も楽だし人間関係も良い悪いをつけるほど関わる人がいない。週2日の在宅勤務ではYouTubeを見てうたた寝をしながら、最低限やらなきゃいけないことだけをやっている。そんな労働環境でどうして転職を考えるのだろう。どうして貴重な有給をとってわざわざ緊張しながら面接を受けるのだろう。そしてどうして不採用の結果にショックを受けるのだろう。

ある程度わかっている。たぶん。

見栄。俺はこんなところにいるべき人間じゃない、俺にはもっと能力があって、それが活きる組織があって活かせる上司がいて、本当の俺はこんなもんじゃない

だからやれることがなく、やりたいこともないのに、今の仕事をやめたくもないのに、志望動機なんてないのに、面接を繰り返すんだ。

不採用通知を受けた後の不思議な納得感は、自分で自分の体面を守るための惨めで汚い言い訳。そのことを悉く見抜かれているだけ。

 

結局、モラトリアムが終わっていない。

惨めな自分に折り合いをつける言い訳だけが達者になる。そのたびにまた惨めになる。その繰り返し。

 

5月末で29歳になった。